プライムタイムズ

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書評『天才を殺す凡人ー職場の人間関係に悩む、すべての人へ』

 「天才と狂人は紙一重」という慣用句があるが、これは天才が、アンバランスに偏った才能の持ち主であるが故に、凡人から見ると、その価値観も非常識に感じられるため、この言葉が生まれたものと言える。アインシュタインは、「20世紀最高の物理学者」と評され、それまでの物理学の認識を根本から変えるという偉業を成し遂げて、1921年ノーベル物理学賞を受賞した。その功績は死後も揺らぐものではなく、それを証明するように、彼の名前は様々な場所に残されている。ここで興味深いことは、アインシュタインは、光量子仮説にかかる業績によってノーベル賞を受賞したのであって、それより遥かに有名な相対性理論で受賞したわけではないことだ。その理由は、相対性理論が、当時の物理学を根底から変えてしまうほど革新的であったため、選考委員でさえも、検証が十分になされていないものに、どう評価していいか自信が持てなかったからだと言われている。天才はいつだって孤独な生き物なのだろう。

 

 その一方で、アインシュタインは、小学生のようにスペルを間違えることがままあり、生涯大文字の「R」を鏡文字で書いていたとされる逸話や、記憶することが苦手で、簡単な数字や記号が記憶できずに、「本やノートに書いてあることをどうして、覚えておかないといけないのか」と記者とのインタビューでやり返した話は有名な話だ。

 

 トーマス・エジソンは傑出した発明家として知られる一方で、稀代の変人としても知られている。小学生の頃、教師から「お前の頭は腐っている」、「頭が悪すぎる」といわれた話は広く知られており、さらに晩年は、「死者」と交信できる通信機の開発研究に没頭するあまり、開発中に火事をおこして、研究所を全焼させる不始末をおかしている。また、直流の送電方式を支持していたエジソンは、対立する交流方式の危険性を立証するために、遊園地のゾウを電気ショックで処刑する様子を収めた映画を公開するなど、その変人ぶりは度を越えていた。

 

 天才とは希少な存在であるがゆえに、その行動や発言は、一般的な価値観では理解されにくい。本書は、世の中を変革するようなイノベーションが、大企業で起きないのはなぜかーという問いに答えたもので、働く人を天才、秀才、凡人という3つのカテゴリーに分類して、類まれなる才能を持つ天才が、会社で殺される構造やメカニズムを説明する。本書における各々の定義として、天才は「独創的な考えや着眼点を持ち、人々が思いつかないようなプロセスで物事を進められる人」であり、秀才は「論理的に物事を考え、システムや数学、秩序を大事にし、堅実に物事を進められる人」、凡人は「感情やその場の空気を読み、相手の反応を予測しながら動ける人」とされる。さらに凡人は天才に憧れる一方で、天才が放つ革新的なアイデアを理解できなければ、排斥に傾きがちであり、それによって天才の創造性が潰されると説く。そのため画期的なイノベーションが起きるためには、天才に強く共感して、説明役や根回し役をかって出る人が必要なのだという。

 

 組織において、何かの議題を意思決定しなければいけないとき、一般的に多数決のシステムが採用される。しかし天才は多数決で行動の成否を決められたら、負けるケースが多いと本書は言う。それは凡人が創造性についていけず、正しく評価することができないからだ。経済サイクルでは、常に「創造的破壊」という期間が存在し、既存のシステムを壊しながら、新しいシステムが生まれる。この流れの中には、本書が言うところの、天才が創造し、秀才が再現化し、凡人がルーティン化するという流れが隠されているのだろう。つまり秀才が一般化して、世の中の受け入れやすい形にしてこそ、そして凡人がルーティン化してこそ、天才の価値が理解されるということだ。

 

 天才を殺す凡人の行動は、どのような分野でも起き、またどのような組織でも起こりえる。つまり大きな発明、発見を、凡人が理解できないあまりに、天才の創造性を無視してしまうということだ。企業組織とは、多くの人間がいて、そこにはヒエラルキーが存在する。天才がヒエラルキーの上位に位置していないことは当たり前のように起こりえるし、たとえ位置していたとしても、そのアイデアについていけない凡人たる部下が多数いるケースは無数にあるだろう。

 

 しかし、果たして天才についていく、または理解することはいつも正しいのだろうか。これには残念ながら「NO」と言わざるをえないことは歴史が教えてくれる。筆者は、時に天才は凡人に殺される必要があるように思う。ここで平成の世界を揺るがした経済事案である、リーマンショックを振り返ってみよう。リーマンショックが起きるまで、金融の規制緩和は異様なほど進んでいた。なぜなら市場は常に効率的であり、政府ができる限り介入しないほうがいいという考えが支配的になっていたからである。こうした環境下で、金融工学という学問を学んだ天才が、サブプライムローン証券化という複雑な商品を世に送り出した。サブプライムローンとは、低所得者層に対するローンのことであり、つまり通常のローン審査には通過できないような信用度の低い人向けのローンである。そして証券化商品とは、ローンやリースなど、将来一定の収益が見込める資産を裏付けとして発行される有価証券のことを言うが、金融工学の天才達は、こうした低所得者層のローンと高所得者層のローンをごちゃ混ぜにすることによって、リスクアセットをあたかも安全であるかのように設計したうえで、そうした商品に高い利回りが得られるように開発した。これはまさに世界が待ち望んでいた商品であった。なぜなら、世界的な経済成長の低下、そしてそれに伴う長期金利の低下によって、過去の高利回りを約束された人たちに支払う年金などの利回りに見合う商品が、存在しなかったからだ。

 

 こうしたことから、天才の発明した商品は、画期的な発明として金融というフレームワーク全体から評価された。そのため後続の秀才がその仕組みを再現化させ、高い格付けを与えることを後押しし、そして凡人がルーティン化することによって広く世の中に売り出されたのだ。しかしこうした需要の増大はバブルを引き起こし、住宅価格が下落すると、サブプライム層の返済延滞率が上昇して、住宅バブルの崩壊が起き、それと同時に、こうした金融商品の価値も一気に下がり、俗にいうサブプライムローン問題が起きて、リーマンブラザーズの倒産を発端として、多くの金融機関が危機に直面したのだ。

 

 現代に戻ると、画期的な発明として、ブロックチェーン技術があげられる。これはナカモト・サトシを名乗る人物によって投稿された論文に基づきビットコインの運用が開始されたことから始まる。ビットコインシステムは、コンピューターのネットワークにより運営され、その取引は、仲介者なしにユーザー間で直接に行われる。そしてその取引はブロックチェーンと呼ばれる公開分散台帳に記録されていく。これよってきわめて低いコストで、銀行などの既存の発行者なしに、ものの10分程度の待機によって決済を可能にするという今までのシステムでは考えられないほど急進的なものを生み出したのだ。しかしハッキングなどの問題も抱えていて、この発明が世界を変えるほど革新的なものであるか否かは、神のみぞ知ると言えるもので、時が解決してくれるのを待つしかない。

 

 現代の多くの人は、未来に不安を感じている。その理由は、我々が新たな時代に突入しているからだ。過去に例を見ないほどの低成長時代が到来しており、その経済モデルは、人類がいままで経験したことがない。 そうした中で、天才が創造したものは、既存のシステムを破壊するテクノロジーであり、それは秀才が再現することを躊躇するものだ。なぜならここから発生する創造的破壊は、単なる農業から工業へと進化した過去の過程とは異なり、もはやヒトの力を必要としないものだ。その創造性は、経済の生産性を大規模に向上させるものの、我々の職を大きく失わせる、ないしは変化させるものだ。

 

 筆者は大きな不安に押しつぶされそうになりながら、「ジュラシックパーク」を観ている。天才とはなんて罪深い生き物なのだ。それにしても恐竜との共存は、やっぱり難しいのかなぁ。