プライムタイムズ

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やっぱり出世はしたほうがいい

 2019年1月16日、19年ぶりに誕生した日本出身力士の横綱稀勢の里が引退した。引退会見において、「土俵人生において、一片の悔いもない」と一言一言紡ぐように語った様は、人々に感動を与えた。筆者にとって何よりも印象的だったのは、故人の鳴戸親方から「横綱は見える景色が違う」と教えられていたというが、会見で、「先代の見ていた景色はまだ見えてないです」と涙を拭いながら言葉を絞り出したシーンである。

 

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 稀勢の里横綱になるまでの道のりは、長く険しいものであった。先代の親方から受け継いだガチンコの精神で、厳しい稽古に臨み、愚直なまでの真面目さで、ひとつひとつの取組に全力であたっていた。土俵上で馴れ合いにならないように、力士に友達は作らないと公言する不器用さとひた向きさが、彼の肉体と精神を育て上げたのかもしれない。そのかいあってか、2010年には、白鵬の連勝を63で止め、2013年には、43連勝中であった白鵬を寄倒しで破るというような大一番を演出し、大きな注目を浴びた。3度の綱取り挑戦の末、悲願の優勝をかざり、優勝後のインタビューで、「ずいぶん長くなりましたけど。いろいろな人の支えがあって、ここまで来られたと思います」と涙を堪えながら必死に言葉を絞り出し、30才を越えた遅咲きの横綱が誕生した。

 

 ただ横綱になってからは、そのガチンコ精神と不器用さが災いしたのか否かは定かではないが、上位陣に包囲網を築かれがちで、ケガに苦しみ、その持ち前の強さを発揮できず、勝率は5割程度となってしまった。世間とはわがままなもので、横綱になったときの拍手喝采は影をひそめ、手のひらを返すように強いバッシングを彼に与え続けた。しかしそんなときでさえも、彼は昔の古い力士像を体現するかのように、寡黙に目の前の取組に挑み、自分を見失うことはなかった。苦難の道のりのなかで、「横綱の見える景色」を目指して、ただただひた向きに相撲道と向き合っていたに違いない。

 

 

「24時間戦えますか?」これはバブル期に一世を風靡したCMのワンフレーズであるが、経済が右肩上がりに伸びて、働けば働くほど暮らしが良くなる時代の象徴ともいえる言葉であり、自身の能力を研磨し、上の高みを目指して奮闘するビジネスマンに向けられたものであった。当時のサラリーマンも昇進して、上にいけばいくほど、その「見える景色の違い」を感じながら、会社組織で日々戦い、その困難さと責任の重さに翻弄されながら過ごしていたのだろう。会社でがむしゃらに働き、夜の街にくりだしてディスコで踊る。そんなことが現実に存在した時代であって、そうした社員のおかげで、大企業は、海外展開を本格化させ、日本企業のプレゼンスを向上させることができたのだ。

 

 しかし平成元年の12月29日に3万8915円の最高値を更新した日経平均株価は、その後下落に転じ、バブル景気は終焉を迎える。こうした時代の変遷とともに、人の働き方も徐々に変化してきていることを、ことさら説明するまでもないだろう。ただそうした変化を数値で示すかのように、先日厚生労働省が興味深いデータを「労働経済白書」に公表した。これによると、管理職になっていない会社員の6割は、管理職になりたくないと考えているらしい。調査は、役職についていない社員らに絞って行われ、昇進への考えを聞き、「管理職以上に昇進したいと思わない」が61.1%で、「管理職以上に昇進したい」は38.9%という結果になったそうである。昇進を望まない理由は、「責任が重くなるから」が71.3%と最大であったようだ。

 

 この結果が意味するところは、現代の社員は、マネジメント職よりも専門性を追求したい、管理職にならずに一兵卒として働きたいと希望する人が増加していることを表しているのだろう。筆者は、この結果に何となく違和感を覚えた。なぜなら会社から決められた仕事を、決められた時間だけ働くというビジネススタイルは、一見すると、自由で、自立したようにみえるが、会社からすれば、そうした労働者に特異性はなく、いつでも替えのきく安価な部品のような存在に過ぎないと考えるからだ。

 

  『課長島耕作』は、団塊の世代のサラリーマン像をリアルに描写したコミックだ。島耕作の勤める会社は、パナソニックをモデルにした大手電気メーカー「初芝電器産業」である。島は揺れ動く社内での派閥争いの動向に振りまわされながら、自分の信念を曲げず、「昇進に興味はない」というスタンスを貫くが、降って湧くような幸運が次から次へと巻き起こり、ついには社長にまで昇進し、現在は会長職を担っている。あまりにも女性関係を描写するシーンが多くあり、また島の家庭も崩壊しており、さらに出世の影には、必ずと言っていいほど、島と性的な関係を結んだ女性の手助けがあるため、ちょっと人間的にはどうなんだろうと疑問を抱かざるをえないばかりか、本線を見失うことも多いのだけど、主人公は、「出世を目指さずに、偉くなった人物」と言えるだろう。ただ島自身は、恋愛よりも仕事に重きをおき、さらに物語に登場する同僚やら上司やらのほとんどは、何よりも出世を目指し、仕事がトッププライオリティとなっている人物として描かれている。さらにほぼ全員がどういうわけか女好きという一貫性もありながら。

 

 筆者も新人として会社に入社したとき、将来は給料をそこそこもらえて、一生プレイヤーでいることができればそれでいい、そして一流のプレイヤーこそが会社をリードしていく人材だー、もっといえば、それこそがクールで洗練された生き方なのだと勘違いしていた。

 

 会社組織において、一つステップがあがるごとに、入ってくる情報量は格段にあがる。会社で何が起きていて、次に何が起きるのか。そんな話が一スタッフとは異なるレベルで日々入ってくる。どんな物事においても、情報が必要であることは言うまでもない。情報が多ければ多いほど、次に起こるであろう物事への予測を可能にし、逆に情報が入ってこないということは、誤った行動をしてしまうリスクをあげる。直面した問題においても、予測の範囲の制限が影響して、選択した行動が不利に作用する可能性をあげる。自分の見えている世界だけで生きていくことは、自由なようでいて、実に不安定なものだ。自分の業務が何に紐づいていて、どれほど価値のあることなのか分からないことは、不幸でしかない。戦争時代の情報操作がいい例で、マスメディアに情報をコントロールされて、自国が優位に立っているという情報しかなく、街は焼け野原になっているにも関わらず、最後まで勝利を疑わなかった民衆の悲しさと同じようなものだ。もちろん、どのステップにいても、単なる歯車に過ぎず、そんな自分を上層部はコストカットの対象にしているのかもしれないのだけれど。

 

 そしてさらに上にいけば、そこにはまた違う世界があって、会社を動かす立場になればなるほど当然ながら責任は重くなっていくだろう。そして「見える景色」も変わっていくに違いない。まあそれが魅力的なのかどうかは知らないけれど。稀勢の里の話に戻すと、横綱の景色がどんな景色なのかは、筆者にはまったく分からないけれど、先代はそういうことが言いたかったんじゃないかと思う。つまり弟子を叱咤激励し、角界をリードしていく。そうすることで、多くのファンを魅了し、責任の重さ以上の達成感を覚えるときがやってくるということを伝えたかったのではないだろうか。そんな気がしてならない。稀勢の里に「横綱から見える景色」を見せてあげたかったとおこがましいながら思ってしまう。

 

 ちょっと前置きが長くなったけど、そういうわけで、どうせ働かなくてはならないのであれば、出世を意識して、一社員で「見える景色」とは違う景色を目指したほうがいい。なんていうちょっと何の面白みもない、当たり前のような結論でしめくくりたいと思う。出世を目指すというと、あまり聞こえは良くないけれど、これからテクノロジーの進化は、待ったなしで起こる。生き残る人材というのは、そのテクノロジーを使って、どの分野で効率化を図れるのか、逆にどの分野では相性が悪いのかといったことを分析し、判断できる人だけだ。そういう知性と判断力をもった人材だけがこの厳しい世界で生存できるということを、皆うすうす感付いていると思う。

 

 現実の世界は、島耕作のように、あらゆる人にもてまくって、幸運が次から次へと起こり、そして女性がいつでも助けてくれるー、そんな甘い世界ではない。筆者もそんな社会人を憧れたけど、少なくとも自分の目の前には訪れていない。

 

  宝くじでも当たらないかなぁ。そうすれば引退できるのに。そんなことを夢みながら缶ビールを飲んでいる。