プライムタイムズ

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ロボット開発が進む未来を想像しながら考えてみた

 いつの時代も人は夢を見て、そしてその夢を実現させるために努力してきた。鳥類の空中での優雅な飛行に夢焦がれ、ライト兄弟は、世界初の有人動力飛行に成功した。技術の進歩によって、人は未知の世界に足を踏み入れ、既存のシステムを壊し、新たなシステムを構築しながら社会に導入してきた。これはシュンペーターの言うところの「創造的破壊」と呼ばれるもので、経済サイクルにおける自然の摂理で、産業の新陳代謝には欠かせない。ここでふと思い出したのが、昔よく駅で見かけた改札鋏で、当時は駅員が、乗客の購入した切符を乗車駅で切り、一人一人確認をとっていた。スイカパスモ、はたまたスマホを使って改札機にかざすだけで通れることに慣れた若者には信じられないことだと思うけれど、現実に存在していたことだ。

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 この改札鋏は、もはや目にする機会がなくなって、人々はそれと同時に、いちいち切符を購入しなくても、または購入したとしても、いちいち駅員が切符を切るのを待たずして、素通りするかのように、改札を抜けられて、利便性が向上した。ただ鋏職人にとっては迷惑な話であって、世の中から需要がなくなり、職が失われたか、別のもの作りに従事するようになったに違いない。さらにいえば、業務の効率化によって、駅人の雇用も徐々に削減されたことだろう。

 

 「ドラえもんのび太のブリキの迷宮」は、そうした利便性の向上を追及しすぎた人類の行く末をちりばめながら、夢とロマンを人々に示している。藤子・F・不二雄の視点は、天性のもので、時代に潜む問題点を理解しながらも、その現実的な部分を覆い隠しながら、子供たちに夢を与えてきたー海底人、地底人、宇宙人、天上人など、まだ世界で発見されていない、そんな世界があることを子供たちに連想させる。子供の頃は、そんな夢の部分がまぶしくて夢中になっていたが、年を取ってから観ると、また違う視点が浮かび上がる。年を取るということは、物事に動じなくなる一方で、やたらと世の中の負の部分が目につくのが、たまに嫌になる。さて話を戻すと、その違う視点というのは、現代の抱える負の部分を、ドラえもんが提示してくれているのではないかということだ。

 

 ちょっとここで内容について紹介すると、こんな感じだ。ある夜中、酔っ払って寝ぼけたのび太のパパが、スキーと海水浴が同時に楽しめるというブリキンホテルに部屋を予約するところから物語は始まる。いつも友達は、夏休みや春休みなどの長期休暇に家族旅行に行くのに、自分だけが何の予定もないことに嫌気がさしていたのび太であったが、その話を聞いたことで大喜びし、みんなにも自慢してしまう。それがパパの夢だと知り、すっかり落胆するが、ある日、部屋にトランクケースが置かれていた。それはブリキのおもちゃの島であるブリキン島と地球をつなぐ異次元空間装置であった。

 

 ブリキン島にあるホテルにつくと、ブリキで作られた心を持ったロボットに手厚くもてなされ、ドラえもんのび太は島で遊んでいたが、やがてのび太は、いつも以上にわがままを言い出す。ドラえもんは、いつも自分に頼ってばかりいるのび太に「「自分では何もできないダメ人間になってしまうぞ」と叱責しながらも、渋々ひみつ道具をだして説明を始めるが、のび太は、それをろくに聞かず、使いだしてしまう。あきれ果てたドラえもんは「未来に変える」と叫ぶものの、しばらくしてのび太の捜索を開始する。しかし、突然現れた謎の飛行船から電撃を受けて、そのままさらわれてしまう。それは、ホテルで出会ったブリキのロボットとは敵対勢力である、ナポギストラー博士率いるロボット集団であった。

 

 その後のび太は、ジャイアンスネ夫、しずかと共に再びブリキン島にやってきたが、突如ブリキンホテルが、ロボット集団から襲撃をうける。ジャイアンの活躍で追い払うことができたが、そこでブリキンホテルの主である少年サピオが、のび太の前に現れた。彼はロボット集団と同じく、チャモチャ星からやってきた宇宙人で、ドラえもんが彼らに連れ去られたことを告げ、のび太達にドラえもんを助けるため、そしてチャモチャ星の危機を救うため、人間に代わりチャモチャ星を支配するナポギストラー率いるロボット集団に戦いを挑むのであった。チャモチャ星に向かう途中、サピオは、星がロボット集団に乗っ取られるまでの経緯を説明した。チャモチャ星人は、知性の優れた民族で、生活が楽になるための道具をドンドン発明し、豊かになっていった。ついには発明でさえも面倒になり、発明を任せるために、知性と心を持つAIロボットであるナポギストラー博士を作ったのだ。そこでナポギストラーは、人間が楽に暮らせるための道具を発明し続けたが、その裏では、人間が歩くことさえも必要なくなる道具まで発明し、人間の身体能力を退化させ、星を支配することを目論んでいたのだ。

 

 これは人類とロボットの主従関係が逆転した社会を描いた作品で、便利な道具に頼り切った人類の行く末を描くことで、暗にテクノロジーの行き過ぎた世界に否定的な見解を示しているが、そういう意味では、人類とAIの知性の戦いを描いた作品と言えるかもしれない。似たようなコンセプトの作品は数多く輩出されているが、実写版のものでは、ウィルスミス主演の「アイ,ロボット」もその発想に近い。最後はロボットが知性を持ちすぎることで、人間を凌駕し、主従関係が逆転するというもので、人類に警鐘を促すものになっている。

 

 人間の知性が、どこの分野までAIによって駆逐されてしまうのか、それは、これからの大きなテーマであろう。これは筆者がマジョリティなのか、マイノリティなのかは分からないけれど、どっちかと言えば、技術進歩からの恩恵よりも、その後の副作用の方を恐れている。ふだん筆者はあまりの怖さに布団にもぐり込んで、震えているけれど、それでは状況は何も変わらないから、しょうがないからブログを書いているわけだけど、これから先、待ったなしにAIが人類の営みを豊かにしながら、生活に入り込んでくることだろう。その一方で、AIが代替することによって、世の中から姿を消す職業は、数多くでてくるに違いない。鋏職人のように。

 

 ある意味でAIの出現によって、労働生産性は莫大に向上するから、経済学的見地からは、何の問題もないのかもしれない。ただそれによって世界の失業率は大幅にあがることは間違いない。それはなぜか。企業の視点で考えてみれば、何かを産み出すためのコストは安ければ安いほどいいわけだから、人間に支払う賃金が、機械を使うよりも安いときにだけ人を雇用するインセンティブが生じる。それは大きな社会不安を巻き起こし、さらにそうした社会不安は、教育という分野にまで負の影を落とすかもしれない。たとえ高技能教育を受けても、その先に良い就職がないのであれば、所得の低い家庭では、高い教育を受けさせるインセンティブはなくなる。そうした負の連鎖によって、世の中の犯罪率もあがるやもしれない。もはやAIは、産業革命以降の機械化とは比較にならないほどの知性と技能を有しているのだ。農村の過剰労働力を工業労働者に、技術的失業者をサービス労働者に転換した昔のような創造的破壊では済まないだろう。

 

 筆者は、ポップコーン片手にドラえもんを観ながら、タイムマシーンで未来に行き、当たり馬券の情報を得た後に戻ってきて、その情報を使って大金持ちになりたいーそんなどうしようもない煩悩を抱えながらテクノロジーの発展を楽しみに待っていたけれど、この作品を再度観ることで、現実に立ち戻った。さらに考えをめぐらせると、技術の進歩は、男女の関係も希薄にしているように思えてならない。昭和の人間であれば、固定電話で好意を持った相手の家に電話するものの、その家の親が電話口に出ると、何も言わずに電話を切るといった苦い経験を持った人もいるやもしれない。それが携帯になると、簡単に、そして確実に特定の相手とコンタクトが可能になり、スマホ世代になると、もはや電話なんてせずとも、LINE交換をすることによって、タイムリーに関係が築けてしまうのだ。そんなプライベート空間の進歩は、新たな人間関係の作成を容易にさせただけでなく、「いつでも気軽に作れる」という余裕を生み出すことで、既存の関係を簡単に消滅させることも促してしまった。現代の男女は、より慎重に、より狡猾になっているやもしれない。(全然しらないけど)

 

 筆者はいま、携帯電話もなければ、テレビもない、そんな素晴らしく未発達で、非効率な社会に戻りたいと願っている。仕事は溢れ、心優しい男女が一杯のそんな社会に。そんなことばかり考えながら布団に入ろうと思う。

 

 朝起きたらドラえもんがいないかなぁ。