プライムタイムズ

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組織のリーダーは怠け者が一番

  
 日本では、ますます少子高齢化が加速し、労働力不足が深刻な問題になっていることは、ここでことさら説明するまでもない周知の事実だ。こうしたことを背景に、安倍内閣は、外国人労働者の受け入れを拡大する入管法改正法案を閣議決定した。野党の大きな反発はあったものの、政府は国会で同法案を成立させ、2019年4月から施行させたい方向を示した。安倍内閣は、「本法案は、労働力の受け入れであって、移民政策ではない」として、反対意見をいなそうと必死に対応している。


 どんな物事でも、異なる考えを持つ人間が集まる限り、全会一致で決定できる事柄は限られている。「12人の怒れる男」は、1950年代に製作されたアメリカの映画であるが、陪審員制度の長所と短所を説明するものとして、様々な場面で引用される。法廷ものに分類されるサスペンス映画であり、密室劇の金字塔としても高く評価されている。さらに撮影のほとんどが、たった一つの部屋を中心に繰り広げられており、映画製作に大金を投入しなくても、映画は成功するということを証明した作品としても知られている。


 少し内容の説明を加えると、父親殺しの罪に問われた少年の裁判を基礎として、12人の陪審員が評決に達するまでの白熱した議論を描いている。法廷に提出された証拠や関係者の証言が、被告人である少年に圧倒的に不利なものであり、陪審員の大半が、少年の有罪を確信していたところから物語は始まる。全会一致で有罪になると思われたところ、ただ一人、陪審員8番だけが少年の無罪を主張するのだ。彼は、他の陪審員たちに、固定観念に捉われずに、証拠の疑わしい点を一つ一つ再検証することを要求する。陪審員8番の熱意と理路整然とした推理によって、当初は少年の有罪を信じきっていた陪審員達の心にも序所に変化が生じる。そして最後には、全員が「無罪」という評決をだして、少年の人生を救ったかのようにして物語は幕を閉じる。

 
 政治における民主主義は、現代の画期的な発明として、あらゆる国で広く使用されている。その対比として独裁政権が引き合いにだされるが、独裁者が暴走し、市民の安全や安心が脅かされた悲劇的な例は、歴史が教えてくれる。そのような独裁者の暴走を未然に防ぎ、より多くの意見を反映した形を体現する方法として、民主主義のシステムに一定の評価が可能であることに異論はないだろう。その一つとして、イギリスの元首相ウィンストン・チャーチルが、演説の中で、「民主主義は最悪の政治と言える。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除けばだが」と語ったものが有名だ。

 この映画においても、民主主義の仕組みにおける正の側面にスポットライトが当てられ、少数派の意見を封殺することなく、物事を解決に導いていく様が描かれ、少数派の意見、そして議論そのものの大切さを視聴者にうったえかける。しかし、筆者はこの映画を何度も観ているが、回数を重ねるたびに疑問がわいてくる。物語の見所は、言うまでもなく、陪審員8番が、いくつかの目撃証言や証拠を、的確に分析し、証拠不十分で無罪であることを皆に証明するシーンであるが、どうもその論理があいまいなのだ。ここで、決定的な証拠を覆した例を2つほど紹介したい。

  • 凶器は、珍しい形の「飛び出し形ナイフ」で被害者の胸に振り下ろした形で刺さっていたこと
  • 少年が逮捕されるまでの空白の時間に、映画館で映画を観ていたと言うが、映画のタイトルを覚えておらず、少年のアリバイを裏付ける目撃者もいなかったこと

 ここで凶器に関しては、陪審員8番が、事前に少年の家の近くにある雑貨屋で、同じナイフを偶然発見して、その場で皆に見せることにより、希少性がないことを証明したが、それが必ずしも少年が犯人ではないとは言い切れないばかりか、そのナイフは、突き刺して使うものであり、上から振り下ろして使うものではないことから、被害者よりも身長の低く、ナイフの扱いに慣れた少年の犯行ではないとした証明は少々こじ付けが過ぎる。さらに映画に関しては、陪審員8番が、他の陪審員に対して、数日前に観た映画の記憶を思い出させて、少年とは異なり、ショック状態でもないにも関わらず、映画のタイトルを完璧に思い出せなかったことで、少年が思い出せないのは、ショック状態もあって、当然だとして証明してみせたが、普通数時間前に鑑賞した映画のことをそんなに簡単に忘れるだろうか。いずれにせよ、仮に犯人が少年だった場合、みすみす犯人を取り逃がしてしまうことになるため、有罪である可能性を排除しすぎた議論に疑問を覚えたのだ。

 さて、この無作為に集められたメンバーは、正しい判断を下せたと言えるのだろうか。

 組織やチームは人が作り出すもので、そのメンバーが重要であることは言うまでもない。ビジネスの現場でも民主主義のモデルは採用されていて、経営者の独善的な決定を退けることに一役かっている。そうではない会社も沢山あると思うけど。では民主主義は、ビジネスの世界で、いつでも最適な状態を作り出すと言えるのだろうか。組織のチーム構成のバランスが良い場合においては、その力を発揮する可能性があるというのが、解答になるかもしれない。それは優秀なメンバーが集合し、いつも正しい決断をできるチームに限定されるということだ。さらに、少数派の意見にまで耳を傾けることが、民主主義の基本的な概念であるため、ときに議論が白熱すると、決定までに多くの時間を費やす必要が生じ、効率が悪い。ハンス・フォン・ゼークトは、ドイツの軍人で、軍の最高実力者として名を馳せた人物である。その中で、兵士を4つのマトリックスに整理して組織体制を作ったことは、有名な話だ。


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 ゼークトは①番の「怠け者だけど優秀」な人物を、組織上でリーダーになるべき人物として最適であるとした。その理由は、有能であるがゆえに、物事の是非を決定することを可能にし、そして怠け者であるがゆえに、他人に作業を任せることができるからというものだ。②番の「勤勉で優秀」な人物は、物事を判断することができるが、勤勉であるがゆえに、他人に作業を任せることができないために、組織のリーダーになるよりも、参謀として補佐する立場が適当であるとした。③番の「バカで怠け者」な人物は、自分で判断できないし、自ら動こうともしないため、命ぜられたことをそのまま遂行する兵隊的な立場に適任であるとした。最後に④番の「勤勉なバカ」な人物は、自分で適切な判断もできないのに、勝手に動きまわるため、組織に余計な混乱を呼び、一番危険なタイプであるとした。

 このマトリックスは、会社組織に当てはめてみても、そのまま活用できて、④番のタイプは一番最悪の社員だ。リーダーの意向も考えずに勝手に業務を遂行し、ミスを犯し、それを認識できる能力さえもないために、組織を崩壊に導く。そして、リーダーは、その尻拭いに追われるために、本来組織のためにやるべき業務が何も進まない。これはまさに恐怖としか言いようがない。


 では、勤勉で優秀な社員ばかりのチームは最強なのだろうか。勤勉で優秀な社員は、力を合わせて多くの業務改善案を提出し、あっという間に実行に移してしまうだろう。いままで、1日掛かっていたものが、一時間で完了するようなことも達成してしまうかもしれない。業務効率化を推し進めたことで、会社は業績があがり、その功績によって社員の給料も大幅にあがる。とは現実の世界では起こりえず、それが理想論であることは誰もがわかることだろう。実際は、この業務効率化によって、会社はチームの人員削減に舵をとり、少なくなったチームは疲弊し、給料はまったく上がらないかもしれない。つまり、会社組織でも、スペックの高い怠け者が一番得をするし、賢い選択ということになる。



 いずれにせよ筆者は、4番のような人物が現れると、頭がおかしくなるほど苦しくなる。どのように対処していいかわからないばかりか、本人はまったく悪気もなく、そして新たな仕事を作り出すからだ。怠け者はつらいよ。トホホ。