プライムタイムズ

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上司と部下の関係について考えてみた

 京都の冬景色は、紅葉時の風景とはまた違った美しさがあり、髪型をかえるだけで変化を遂げる女性のような妖艶さがある。四季折々の壮観さと優美さが、人々を惹きつけてやまない由縁やもしれない。そんな京都という地で、織田信長が、家臣であった明智光秀に討たれたのは、あまりにも有名な話だ。ではなぜ本能寺の変が起きたのかー、つまり、明智光秀織田信長を裏切った理由は何だったのか。このことは、永遠の謎に包まれるわけだけれど、数多の説が考えられ、その中には、主従関係のあり方に対する意見の相違というものがある。

 

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 当時は戦国時代の真っ只中であり、家臣といえども有力家臣は、独立性が高く、有名な武将でさえも、多くの家臣を押さえつけるのは容易ではなかった。それは一時的に家臣になったとしても、虎視眈々と武勇をあげるために、主人を裏切ることさえも厭わなかった時代背景が影響していると言える。だからこそ、自分の子供と政略結婚をさせたり、領土を与えたりすることで、半ば強制的に運命を共にさせ、一度傘下に入れば、協力せざるをえない状況を作り上げたのだ。またそうした利害関係の構築こそが、この時代の主従関係のあり方であったと言える。

 

 しかしそんな最中にありながら、織田信長は、そうした時代の常識を打ち破り、家臣に対して、あくまで共通理念の擁護者として接するに留め、家臣に領土を与えて、一生そこを基点として従わせるのではなく、その領土の一時的な管理責任者にさせるという、将来的には配置転換も厭わない、現代の上司と部下という関係に近い形を形成した。もっと言えば、コンビ二のオーナー的な役割を担わせ、領土そのものの財産は、織田家のものであるいう考え方で家臣を支配した。これは当時における、一度与えられた領地は、その家臣のものとする共通認識を破壊する考え方であった。この方針は、明智光秀にも向けられ、長年苦労して平定し、母親の居住する地域から、一部領土を没収することを示唆し、その代わりに、出雲、石見という領地を占領することに成功すれば、そこの領土に住まわせると告げたのだ。信長からすれば、配下の土着化が進むことで、謀反を恐れたわけだけど、光秀にとっては、愛着ある土地から離れなければいけないこと、つまり国替えをせねばならず、これがまさに謀反の要因になったのではないかという説である。

 

 こうした政策は秀吉、家康に引き継がれ、徳川時代の三代目家光の参勤交代制度によって、より具現化された。親族を言わば人質として江戸に住まわせ、各藩の藩主を一年おきに江戸に出仕させることで、心情的にも、金銭的にも、謀反の目をつむ政策を実施した。このような主従関係における統治の問題はいつの時代にもつきもので、それは形を変えながら、人類が存続する限り続いていくものであろう。

 

  現代でも統治の関係で世間を賑わせている問題がある。その舞台は日産自動車で起きた。「カルロス・ゴーンが逮捕された」というニュースは、瞬く間に日本中を駆け巡った。筆者にとって何が衝撃的だったかと言えば、多額の報酬を受け取るゴーンが、その報酬を過少申告した疑いがあるという事実そのものではなく、「ゴーン・チルドレン」とさえ呼ばれた西川社長が、ゴーンに対して反旗を翻したことだった。なぜこのような内部告発が起きたのだろうと分析するためには、これまでの日産とルノーの関係を振り返らなければならない。

 

 1980年代、日産自動車は、すでに日本を代表する自動車会社の一つであったが、販売シェアを落とし、苦心していたとき、「90年代までに技術世界一を目指す」という901プロジェクトを立ち上げた。このプロジェクトが功を奏し、数多くの名車を産み出しただけでなく、全車種を対象としたエンジン、サスペンションなどの設計目標と走行実験におけるハンドリング評価基準の大幅な底上げを実施し、技術の向上によって販売回復を目指すという目標を達成した。

 

 しかしバブルの崩壊という外部的要因によって、徐々に販売台数は下降線をたどり、さらに、もの作り産業は、環境保全の観点から、これまでの「作って販売すれば終わり」という概念から脱却することを求められ、多くのメーカー企業と同様に、地球環境対策に舵取りをしなければならなくなったことから、コストが増大し、収益性を押し下げた。こうしたリサイクル開発と推進に巨額の費用を投じなければならず、ついには、2兆円規模の有利子債務を抱えて、倒産寸前に陥ったのだ。そこで1999年、日産はルノーから6430億円の出資を受けるとともに、ゴーンらが経営陣に加わって再建を目指すことになった。もともとこの決定には、もの作り大国日本の国内で、大きな波紋を呼んだ。それは901プロジェクトなどで築き上げた保有する技術が、海外に流出するのではないかという大きな懸念であった。

 

 そんな最中、ゴーンによって、大規模なリストラ対策が推し進められ、多くの生産拠点の閉鎖、資産の売却が実施された。これがコストカッターの異名を取る理由であるが、こうした大工事によって、日産は全額借金を返済できただけでなく、世界に名だたる自動車メーカーへと劇的に復活を遂げた。しかしこのときの大改革により、大きな遺恨を残したことは言うまでもないだろう。ゴーンは、2016年、西川社長に日産の経営を任せたとき、絶対の信頼をおいていたとされる。それではなぜ、ゴーンが逮捕されたとき、西川に「一人に大きな権力を持たせたこと、そして長年実力者として君臨させてしまった組織体制を作り上げてしまったことこそが事件の原因である」とする記者会見を行わせてしまったのだろうか。しかもその権力の力こそが、西川を社長という地位まで押し上げたにも関わらずである。

 

 日産の業績が回復しているいま、日産の利益は、ルノーに吸い取られているという構図が続いていたこと、それによってフランス統治に対する不満が社内外から大きくなっていたことは、無関係とは言えないだろう。さらには、ルノーの株を15%持つ、大株主であるフランス政府が、日産とルノーを統合させて、国家的利益を優先させる形で、ルノーの経営を後押ししたいと考えるようになったことも誘引とされるかもしれない。「2022年までにルノーと日産の統合を進める」そんな噂とも真実とも取れるような密約が結ばれたとされることが、社内に広がったことは西川を焦らせたに違いない。そして、そのときには、西川は解任されるとしたことを聞きつけたのであらば、もう静観してはいられなかっただろう。会社の事情と個人の事情が複雑にからみ合いながら、この事件は起きたのかもしれない。

 

 西川の社内への表向きな作戦は、ルノー経営統合されることにより、日産自動車は、ルノーというフランスの会社になってしまう、そうなれば、またあの悪夢のリストラ改革が巻き起こる、さらには日産の根幹である技術が流失するー、今立ち上がらなければいつなんだとしたナショナリズムを奮い立たせることだったかもしれないが、もはや19年という協力体制を育んだ両者の長い歴史のなかで、生産拠点、部品の共通化は既に進んでおり、グローバルな連携体制も進んでる。あらゆる技術開発の連携も進んでおり、技術の流出は限定的だったに違いない。

 

 いずれにせよ、西川は内部告発を利用する形で、ゴーン追放に成功した。このときゴーンが、カエサルを思い出したか否かは不明だけど、腹心の部下に裏切られ、「西川、お前もか」と呟いたかもしれない。日産と西川の戦いは、フランス政府を巻き込んだ大きな行事になっているので、温かく見守りたいと思う。

 

  さて筆者は、会社における上司の部下との関係も、時代とともに大きく変わってきているように感じている。初めて就職した企業に、丁稚奉公し、年功序列に終身雇用といった従来の組織体系に依存するという関係は終焉を迎えようとしている。上司を「親父」、「おふくろ」と呼び、居酒屋で、プライベートの生き方まで互いに共有しながら働く。合併や倒産が当たり前になった現代では、そんな関係は薄れ、企業は自分の技能を高めるための一つのツールに過ぎず、自己実現を形成する場所であり、会社での上司と部下の関係も、よりクールに、そしてもっとシビアになってきている。

 

 上司のありかたも様々で、現場の声や問題をこと細かく理解し、それをさらに上層部に伝える優秀な上司もいれば、新たなレイヤーを作り、中間管理職として出世させたんだと嘯きながら、自分の配下として利用し、そこから泥臭い現場を管理させ、自分は上層部に報告をするだけという管理体制を築きあげている狡猾な上司もいるだろう。現場の人間にとっては、前者のほうが明らかに有能な上司であり、後者にあたることは、一生の不幸のように感じるかもしれない。ただ利害関係だけを考えると、上司にとって、現場を見るインセンティブはもはやなくなっていて、自分に価値ある情報を与えてくれる部下だけが重要であって、言うことを聞かないのであれば、切り捨てればいいだけであろう。いつの時代も現場ばかりが苦労するのは変わらないのだけど、中間管理職が一番の被害者だろう。上司からいつお払い箱になるかわからないー、責任ばっかり取らされて、口答えしてくる部下は、「いやぼくの仕事じゃないんで」とばかりに仕事を残して帰り、残った作業を深夜までこなしながら疲弊していく。

 

  「正しいことをしたいなら偉くなれ」踊る大捜査線で観かけたこの言葉が、「楽をしたいなら偉くなれ」そんな言葉に聞こえてきて、耳をほじってみたけれど、流れ出てきたのは、中耳炎にならんばかりの血だけであった。あー会社ってなんでこんなにメンドクサイんだろう。そんなことを思いながら、織田裕二の若き日のドラマを追いかけている。