プライムタイムズ

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人の評価と社内政治について


 人は好むと好まざるとにかかわらず、あらゆる場面で人を評価して、人から評価されている。人間には感情という機能があり、そこがロボットとは異なる優れた部分である一方、評価の曖昧さを生み出し、平等性を減少させる。そのため、人を評価するときは、一定の条件や基準を設けることが一般的だ。

 
 テクノロジーの発展により、恋愛市場では、実際に会うことなしにますます相手を条件で選択することが可能になっていて、様々なアプリが使われている。そこでは、学歴、年収、年齢などでフィルタリングすることによって、自分の条件に見合う相手を探しだすことができ、人間の感情が働くところは、顔写真くらいのものだろう。そしてマッチングしてはじめて、その相手と実際に会うことになる。また恋愛のみならず、一夜の相手や食事相手を見つけたければ、専用のアプリを使って、金額と顔写真を確認し、相手の同意さえあれば、あっという間に一緒に時間を過ごすことが可能だ。ここで重要になってくるのが、不特定多数の人が登録している情報について、どれほど信頼性が担保されているのかという点であろう。これについては、運営している会社が、情報のモニタリングに関して、どれだけ重要視しており、また資金をかけているかに依存される。少し前の時代ではまず互いに知り合うことがなかった層同士が、いまや手軽にSNSツールを使って、相手を相互に評価しあっている。もちろんマッチングするかどうかは別の話だけれど。こうして人と触れ合う機会の増加とともに、評価に対する選考は自動化が進んでいるのだ。

 
 さて、多くの人は会社に勤めてると思うけど、そこには常に社内政治が存在する。出世するためには上司や周囲の評価が必要で、数字だけで判断されることはまずない。このような世界では、どのような人物が評価されるのだろうか。言うまでもなく一番重要になってくるのが、アッパーマネジメントに評価される必要があることだ。これはどういうことかといえば、直属の上司をはじめとして、部署全体のマネジメントなど、自分より上位に位置する人たちから評価されないといけないということだ。次に重要になってくるのが、自分と同等レベルの人物からの評価だ。人間とは不思議なもので、自分ひとりで決定したことは、それが正しいのかどうか、誰かに確かめたくなる。そのとき、上の人間としては、自分と同等か、もしくは下の人間、すなわち評価する対象者と同等レベルの人物に確認するものだ。下の人間に聞く方が、より本音を聞き出しやすいし、何よりも自分に対しての態度との相違を知ることができる。そのため、周囲の同等レベルの人物からの評価も必要になるのだ。最後に必要になってくるのが、部下から信頼を得ることだが、これはその上司の力量による。なぜなら、その上司が自分だけの指示なり、視点だけを重視している人物であれば、部下からの信頼はまったく意味をなさなくなるからだ。(こういった上司の方が大半なのだろうけれど)


 いずれにせよ、自分のスタイルを確立することが大切だ。そしてスタイルを長期的に継続して、信頼を獲得する必要がある。どういうことかというと、例えば、常に上司の方向しか目を向けないのであれば、それを徹底的にやったほうがいい。上司に忠実に、そして下を叩いていれば、上には反抗しないやつという信頼が生まれる。逆に同等レベルの人間からの信頼を重視するならば、部署をまたいでネットワーク作りに精を出したほうがいい。裏を返せば、どっちを向いているか分からない人物は、陰で何をいってるかわからず、不信感を生み出す恐れがある。上に立つ人間というのは、仕事ができるかどうかは別として、空気の変化に敏感で、懐疑心が強いものだからだ。

 どのスタイルを選択するかは、当然ながらその人次第であるが、上司のみの評価に全力を注ぐということは、将来の上司の活躍に賭けるということに他ならない。それは二人の関係が永続する場合はいいが、転職するのが当たり前になった現代では、上司がいきなり転職するかもしれない。また、不透明な経済状況によって、部署ごと変革される可能性は高まってきている。他社からチームごと移ってきて、信頼していた上司が解雇されるかもしれない。そういう状況を考慮にいれると、上司だけに目を向けることは、短期的にはいいかもしれないが、中長期的な視点で考えたとき、それが正解なのかどうかはわからないのだ。もちろん本人がもし転職を視野にいれているのであれば、それでもいいかもしれないが、その会社でのキャリアパスを考えているのであれば、得策ではないのだ。

 現代は転職があたりまえの時代になってきたけれど、こと社内政治に限って言えば、同じ会社に長期間在籍するほうが有利に働く可能性が高い。企業の文化も、普通の社会と変わらず、信頼と裏切りが渦まいている。自分の気に食わない相手や派閥に圧力をかけるためには、それなりの年数が掛かるし、幅広いネットワークが必要になってくる。グローバル社会になってきている現代では、地域を横断して、そういったネットワークが必要になってくるし、時間がものをいうのだ。

 筆者は、血生臭い組織にいて思うのは、数字で勝負しなければいけないフィールドこそ、多種多様な社内政治が必要になってくるような気がする。結局一匹オオカミではいられないということだ。まったくサラリーマンはつらいよ。やだやだ
 

転職ということについて考えてみた

 600万年前から、人類はサルとは異なる道を選択し、狩猟採集生活を始めた。狩猟採集生活は、その日に食べられるだけの獲物や植物を取れるだけとって、その日のうちに食べきってしまうものだ。なぜなら、現代のような貯蔵システムは存在せず、余った食材を保存したくともできないのだ。そして、ある特定の場所で獲物がとれなくなったら、また場所を変えて同じ生活をすることを強いられる。そんな時代が長く続いたが、貨幣経済が発達すると、物やサービスを購入したり、売却したりといったシステムが確立され、現代では物を狩猟する能力ではなく、貨幣を稼ぐ能力が求められている。

 

  狩猟採集生活をしていた当時の人類にとって、その日に獲物が取れるかどうかは死活問題であって、取れない日が続けば、それは死を意味する。つまり多くの獲物がいる地域や場所は貴重な財産であって、探索能力があることは、非常に価値あることであった。現代の貨幣社会では、資金力がそのまま生活力になるため、企業に勤める多くのビジネスパーソンにとって、在籍する会社が重要なのは言うまでもない。つまり何かしらの理由で会社に価値を見出せなくなったとき、人は転職することを決めるのだ。これは獲物が取れなくなった場所に対して、意味を失って移動するのと何ら目的は変わらないだろう。ただそんな中、いま転職市場では、賃金上昇レベルが落ちてるのだそうだ。つまり、会社を変えたところで、賃金上昇がそれほど見込めなくなっており、転職するインセンティブは減少しているということだ。

 

 ただその日暮らしから脱却した人類にとって、今日、明日といった短期的な視点で生活する必要はなくなったため、転職を決定する理由はいくつかあるだろう。特に統計を取ったわけでもないから、世間的にどんなことが引き金になって転職するのかは定かではないが、3つほど理由があげられるかもしれない。

  • 現状の給料に対して不満があって、転職によって賃金上昇を見込めるから
  • 社内の人間関係に不満があり、とにかく環境を変えたいから
  • 職種の変更を考えているから

 

  この中で、給料の上昇を望む転職が、一番可能性が高いのではないだろうか。転職を考えるときに重要になってくるのが、「自分のスキルが、別の会社でどれくらい価値があるのか」を思案しなければいけないことだ。この出発点を間違うと、色々と不幸なことになる。つまり、どんなスキルが他社に持っていけて、何が持っていけないのかを考えないといけないということだ。例えば、社内だけで活用してるシステムなり、コネクションなり、資料なりは、当然ながら現状の会社に置いていかないといけない。一方で、PCスキル、語学力、そして個人だけが持っている特別な技術などは、他社でも活用できる。結局どこの会社も、その人の持っている特定のスキルについて給料を出しているのであって、その個人の人柄の良さや、外見などのアバウトなものに給料を出しているわけではない。(プラスアルファになるケースはあると思うけど)

 

 多くの人は、ここら辺の分析をするまえに転職市場に飛び込んでしまい、自分の求める給料と提示される給料のギャップに悩んでしまうのだ。人は会社で長く働いていると、その会社に置いていかないといけないスキルを自分の特別なスキルだと勘違いする。とりわけ日本の企業において、社員は市場や消費者に目向けて商売をしているのではなく、上司が納得するビジネスプランを出して、それを執行することが重要なため、その会社で評価が高いということは、あくまでもその会社でしか通用しないが、さもマーケットでの価値があると思い込んでしまうのだ。自分と同じような大学を卒業し、同じようなキャリアパスを望んでいる人を採用し、同じような人間を作りだす。こうなると、過去のモジュールを精査し、それに照らし合わせて、物事を進める能力が重宝されるようになる。つまり会社は、過去の物事を精緻に理解し、新しいことに対して、その過去の経験から起きたことを当て込んでいける社員の能力に給料を払っている。

 

 そうなると、外の世界にいっても、転職先の会社のことを理解することに時間が費やされ、自分の特別なスキルを活用する場面は限られると思うかもしれない。これは職種によって異なるので注意が必要だ。例えばトレーディング業務でいえば、システムが変わっても、その人の能力や経験が全てであって、とくに置いていかないといけないスキルに囚われる必要はない。だが他の部署との連携が必要だったり、その部署特有のルールがある場合は、特別なスキルよりも、その会社独特のコネクションだったり、仕組みだったりが重要になり、自分の持つ特別なスキルは影をひそめることになるだろう。さらに何かを意思決定するときは、上司の判断を仰がないといけないし、ドラスティックに物事を進めることができない。

 

 では外資ではそれが可能なのか。答えはNOといわざるをえない。高齢化が進み、在籍期間が長くなった上司が多くなり、上司のスタイルに沿っていかないと、前の会社と同等の成績を出したとしても、解雇される可能性もある。つまり外資でも違ったフレームワークが存在し、新しいトレンドが存在するための時間軸は長くなっている。こうして、社内での人間関係が重要になってきて、ときに埋められない摩擦に嫌気がさして転職したくなるのだろうし、また日々同じことを繰り返してるうちに、人は新しいことをやりたくなって転職するというサイクルが生まれるのだ。

 

 人類は狩猟採集時代から、何かを得るために場所を移し、一番獲物が取れるところを目指して放浪してきた。そういう歴史を考えると、一番自分の求めることを達成する場所を目指して人が転職するのは、ある意味では当たり前の話で、これまでの年功序列、終身雇用という安定が失われれば、永続的に獲物が取れる環境ではなくなるわけで、ますますこれから転職市場は賑わうに違いない。

 

 いやーサラリーマンはつらいよ。 

 

 

参考文献 

「転職で賃金増」の減少を、キャリアコンサルタントとして歓迎する理由 | 松岡保昌 | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

縦割り構造を失った会社は機能するのだろうか?

 人類の歴史は、戦争の歴史といっても過言ではないほど、いつの時代でも、またいたる地域で覇権争いが存在する。現代でもそれは続いていて、どこかで小さいな小競り合いは日々起きている。その理由は様々で、最も一般的なものは、資源・食料を他者から奪うことによって、豊かになりたいという人間の欲望だろう。資本主義の社会は、多かれ少なかれ、競争を勝ち抜かなければ、自分の求めることを叶えることができない。一方で競争を勝ち抜くことによって、権力を掴むことが可能となり、欲するものを手にすることできるのだ。

 

 こうした権力争いは、サルの世界が一番わかりやすい。動物園のサルを眺めて見ると、野性とはまた違った権力構造が存在する。ニホンザルの社会は、第一位オス(ボスザル)を中心に組織する「同心円構造」が特徴である。多くのオスが、若い頃からボスザルになることを望み、戦いの末にその地位を得るのだ。見事ボスザルになることができれば、食事もふんだんに取れて、沢山のメスザルと交尾することが可能だ。その一方で、ボスザルは、争いごとを止めさせたり、発情期に群れ周辺に現れて、メスを狙う離れオスを威嚇して追い払い、群れの秩序を守る役割を担っている。こうした上下関係が、組織の規律を維持するためには必要なのだ。

 

 動物園で、ボスの座に上るのは、通常、遺伝的に優位にある強いメスの家系に生まれ、そのまま群れに留まって母ザルや強いパートナーに守られて育ったオスだ。これは人類の歴史をふり返ると簡単に理解できるが、どこの国の王朝でも王の子供が王になるケースが一般的で、派閥争いはあくまで親族内で行われる。一方で、野生の世界では群れを離れた大人のオス、すなわち遺伝的優位性がないオスは、交尾期に他の群れを脅かす存在となるが、餌付けされた園では、離れオスが群れで市民権を得るケースはまれなのだそうだ。つまり離れオスが、力で遺伝的優位なオスを出し抜くのは、動物園では難しいことを示している。いずれにせよ、どのサルも権力構造のトップに座ることを夢見ながら日々過ごしているのだ。サルから進化した人類にもこうしたメカニズムは、遺伝子の中に含まれていることだろう。

 

 ところが、最近の人間社会では不思議な現象が起きている。それはブログ『やっぱり出世はしたほうがいい - プライムタイムズ』で書いたように、権力構造の上位になるための出世を望まない人が増えていることだ。管理職になっていない会社員の6割は、管理職になりたくないと考えているらしい。調査は、役職についていない社員らに絞って行われ、昇進への考えを聞き、「管理職以上に昇進したいと思わない」が61.1%で、「管理職以上に昇進したい」は38.9%という結果になったそうである。昇進を望まない理由は、「責任が重くなるから」が71.3%と最大であったようだ。これは進化の過程で、権力を望むようにプログラムされた人類が、大きな変化に直面しているということなのだろうか。

 

 こうした現象は、別の視点からも見て取ることができる。世界価値観調査では、「将来の変化に対して、権威に対する尊敬が高まることがよいことだと思うか」という設問について、60カ国平均では、「よいことだ」という回答が55.1%で、「悪いことだ」という回答が13.1%となっているのに対して、日本は「よいことだ」が7.1%に過ぎず、「悪いことだ」が74%にもなっているのだそうだ。これはサルの世界で言えば、自らボスザルになることを放棄したサルが増えているといえる。その理由として、給料やタイトルという見返り以上に責任が重くなっているからかもしれない。

 

 日本人が不思議なのは、これほど権威に対して嫌悪感があるにも関わらず、そして見返りが小さくなっているにも関わらず、フランスで最近起きているような抗議デモまで発展していないことだ。 フランス・パリでの「黄色いベスト」運動は、日本でも伝えられているが、マクロン大統領の増税、リストラ路線に反対するもので、燃料費増税が直接のきっかけである。デモが行われたパリ中心部では、「黄色いベスト」を着た人に街は埋め尽くされ、現代版のフランス革命ともいうべき規模で発生している。

 

 日本では歴史的に王政討伐のようなことは経験しておらず、権威は嫌いだけど、権威を打ち倒すようなことも起きない。上下という縦割りの関係よりも、フラットな関係のほうが居心地がよく、トップダウンで従うのではなく、皆で決断したいという感覚は、日本社会に根付いているのだろう。だからこそ、リーダーという存在に対して危機感を覚えるのだろうし、それと同時に上に立つものを打ち負かすようなアグレッシブな行動は気が引けるのかもしれない。

 

 権力が嫌いで、その権力に抵抗することも嫌いという日本人は、ここからどこに向かうのだろう。そんなことを思いながら、筆者は上司の出張土産を選んでいる。小さな島のボスザルを目指すことはそんなにいけないことなのだろうか。

 

 

参考文献 

【四国の議論】サル山の「ボス争い」はどうやって起きるのか…なぜか重なる“政権交代”と人間の選挙イヤー(2/5ページ) - 産経WEST

映画『ファウンダー/ハンバーガー帝国の秘密』を観て思ったこと

 レイ・クロックは、マクドナルドコーポレーションの創業者で、マクドナルドをフランチャイズ化して、世界34カ国で8300店舗を展開し、世界最大のファストフードチェーンに仕立て上げた人物として知られ、生涯で5億ドルの富を築いた。日本国内でも絶大の影響力があり、多くの起業家を目指す人々の夢をかきたてている。だがその半生は、順風満帆というわけではなかった。そんな彼の成功までのヒストリーを描いた作品が、『ファウンダー/ハンバーガー帝国の秘密』という映画だ。


 レイ・クロックは、もともと自分で様々なものを開発しては特許を取得して、商品を売り歩いて生計を立てていた。52歳のレイは、シェイクミキサーのセールスマンとして中西部を訪問販売していたが、売上はいまひとつ伸び悩んでいた。そんなある日、一つのドライブインから、ミキサーの大量注文が届くところから物語は始まる。発注元がどんな店なのか興味をもったレイは、ディックとマックが経営するハンバーガーショップマクドナルドに向かったのだった。


 兄弟の案内で店を見たレイは、調理から配膳まで非常に効率化されたシステム、そして従業員のモラルの高さに驚いたと同時に、壮大なフランチャイズビジネスを思いつき、兄弟を説得して契約を交わすことに成功する。そのとき兄弟は、「経営内容を変更するときは、必ず自分たちの許可をとること」を条件に、レイにフランチャイズ展開を任せたのだった。レイの異常なまでの熱意によって、フランチャイズ化は成功していくが、利益を追求するレイと、品質を重視する兄弟との関係は急速に悪化していく。レイはビジネスが機動に乗るにつれ、自分がマクドナルドの創業者だと語るようになったのだ。


 レイはビジネスのために全米を飛び回る中、ミネソタ州でレストランを経営するロリー・スミスという男性に会った。あろうことかレイは、ロリーの妻であるジョアンに一目ぼれしてしまった。そしてジョアンもまんざらではない様子で、二人の関係は親密になっていく。

 
 しかしフランチャイズ化の成功によって、レイは別の問題に直面するようになっていった。マクドナルド兄弟との契約の都合で、フランチャイズ店の利益を掌握していないレイは、資金難に悩ませられるようになったのである。フランチャイズ店のオーナー達もまた、予想以上のコストに苦しめられていた。特にミルクシェイク用の大量アイスクリームを冷凍保存するための費用は莫大なものだった。レイの苦悩を知ったジョアンは、「粉状ミルクシェイクを使用してみてはどうか」と提案した。レイは、この案をすぐさまマクドナルド兄弟に持ち込むが、ミルクシェイクの品質が低下するという理由で、それを却下したのだった。契約に縛られているレイは引き下がるしかなかった。
 

 月日が経つにつれ、レイの借金は雪だるま式に増大し、銀行に借金の返済猶予を願いでるが断られ、担保にいれていた自宅の差し押さえが、もう目の前に迫っていた。そんなときだった。レイは、飲食業界で有名な財務コンサルタントであるソネンボーンと知り合った。レイから相談を受けたソネンボーンは、苦境を打開するための悪魔のアイデアをレイに与える。それを実行に移せば、マクドナルド兄弟との亀裂は修復できないものになるのは明らかだった。やがてレイは、自分だけのハンバーガー帝国を創るために、兄弟との全面対決へと突き進んでいくー。最終的に、ビジネスの邪魔になっていたマクドナルド兄弟との契約を270万ドルで破棄し、兄弟にマクドナルドの看板を降ろさせて、正式にレイが創業者となったのだった。


 成功のためには手段を選ばず、競争社会を楽しみながら、いきいきと人を蹴落としていくレイの姿は、狂気そのものだ。欲望を満たす為に、長年寄り添ってきた妻とは離婚して、人の妻を自分のものにする。ビジネスでは、他人が作ったスキームを乗っ取ってのし上っていく人間の感情を失った冷酷な姿は、まさにサイコパスのようだ。レイと兄弟の対立が決定的になって、マクドナルド兄弟を叩き潰すシーンは、共感はできなくとも、どこか応援してしまうような複雑な感情にとらわれる。この映画を観終えると、本当にレイが、マクドナルドを「創業」した英雄といえるのだろうかー、という疑問がわきあがる。


 ケヴィン・ダットンは、その著書『サイコパスー秘められた能力』で、大企業のCEOになるような人は、サイコパス的な性格を有しているとその精緻な分析力で証明している。それは、そのポジションにいくような優れた才能を持っている人は、共感能力が完全に欠如し、常に合理的な選択ができるのだという。共感能力の欠如によって、そしてその秀でた知能によって、ときに周囲からは冷酷に見えるかもしれないが、会社を正しい方向に導いているのだ。経営者ともなると、サイコパスと呼ばれるまでの冷酷さが必要なときがあるのだろう。収益を生まない部門なり、人員なりについては、冷酷なまでに切り捨てなければ、会社そのものが存続できない。慈善事業でもない限り、これはどこの会社でも起こりえることだ。

 レイもまた共感能力が著しく欠如しており、マクドナルド兄弟の感情は、自分の目標を達成するうえで、取るに足らないものであったに違いない。映画でもそのシーンは、観た者の脳裏に鮮明に焼きつくことだろう。レイは、コンサルタントからのアドバイスに対して、悩むよりも何よりも、それがいかに合理的で価値があるかということを実感しているようであった。

 ただ筆者は、マクドナルド兄弟のことを思うと、胸が痛くなった。革新的なアイデアと仕組みで店を設立し、収益もあげていたのにも関わらず、歴史に名を残したのはレイだけだからだ。別の見方をすれば、共感能力の重要性を改めて知らしめた映画とも言えるだろう。もちろん兄弟が手にした270万ドルは少なくはないんだが。

 
 いままで電車でハンバーガーを食べている人を見かけると、無性に腹がたったものだったが、これからは何日も食事を取っていないのではないか、餓死寸前なんではないかなど、共感能力をフル活用して観察しなければと思ったところで筆をおきたい。

女性は稼げば稼ぐほど未婚率があがる

 世の中は不思議なことばかりで、一部の若者は、コンビニや居酒屋で、反社会的行動を自ら撮影し、SNSに投稿しては炎上を繰り返している。『不思議の国のアリス』は、幼い少女アリスが、白ウサギを追いかけて不思議の国に迷い込み、言葉を話す動物や人間の形をした歩くトランプなど、様々なキャラクターたちと出会いながら、その世界を冒険する様子を描く子供たちに人気のファンタジーだ。人は不思議なことが起きると、注目意欲が掻き立てられ、魅了されるものなのだ。

 

 現代では、高学歴で高収入女性の未婚率が高いという不思議な現象が起きている。例えば、女子アナウンサーは、テレビ局という高収入が約束された企業に勤め、皆一様に高学歴で美人にも関わらず、未婚の人も多く見られる。

 

 こういった女性の多くは、親は一流企業に勤め、実家は東京23区内で、小さい頃から塾にいったり、お稽古にいったりと、文化と教養を高めることに励み、私立のお嬢様学校に中学校から入学し、高校、大学と順風満帆に進学している。そのかいあってか、一流企業に勤めることを達成し、年収も年齢と共に勝手に増加していく。そんな女性が、なぜ結婚していないのだろうか。一般的な童話では、シンデレラにしろ、白雪姫にしろ、みんな王子と幸せに結婚して物語が終わる内容が多いし、こういう女性ほど、親から小さい頃から読み聞かせされてきて、「結婚して幸せに暮らす」ということが脳内に刷り込まれているはずだ。それなのにである。

 

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  このグラフは、東洋経済オンラインニュースから抜粋したもので、年収別の未婚率を示している。全体では、男性だけでなく、女性の未婚率も上昇していて、2015年の「国勢調査」によると、女性の生涯未婚率(50歳時点で未婚の割合)は、14.1%で、5年前の前回調査と比較して3.4%も増えている。さらに女性の場合は、年収が高いほど結婚できていない。男性はその逆で、年収が低いほど結婚できておらず、「稼げない男、稼ぐ女」が未婚率が高いのだ。

 

 結婚している女性は、大学難易度に関係なく、世帯年収に占める妻の年収が20%未満の世帯が最も多いのだそうだ。仕事と両立して家庭を運営したいのと同時に、世帯収入は落としたくない、もしくはハイレベルで維持したいという小さい頃からの上昇志向が、結婚相手に経済力を求めるのだろう。なぜなら夫より稼ぎが大幅に大きく、家計を支えているという世帯は、少数派であることを示しているからだ。

 

 稼げない男と稼ぐ女がミスマッチによって結婚しないのであれば、政府が推進する女性の社会進出が進めば、残念なことに少子化は益々進むだろう。なんとももどかしい話である。将来的に、所得の低い男性と結婚した場合は、税金の優遇など、何かしらのインセンティブが付与されるような時代が来るかもしれない。そうなると、女性全体の様子も変わってきて、男性に稼ぎを求めなくなるだろう。ただそうなると、男性は種馬の趣が強くなって、これでいいのかということになるけれど。いずれにせよ、生涯未婚率は2015年が14%だから、稼ぐ女性は、全国平均の2倍以上が未婚という現象が起きている。

 

 1500万以上の年収では、未婚率が下がっており、イケメンの若い子羊を家に囲いこみ、将来の支援活動に楽しんでいるのかもしれないけど、結局のところ、年収の高い女性は、自ら結婚をしない選択肢を取っているのだろう。

 

 いまは、「一生働き続けたいからこそ一般職や地域型総合職」という選択肢が大学生の間で増加してきているようだ。転勤や長時間労働の見返りとして、昇進、高額報酬という日本企業のスキームにNOを突きつけた、目先が利く女性は、恋愛論でマウンティングしている人の先を行き、家庭を手にしているのかもしれない。

 

   この不思議な国に迷いこんだアリスは何を思うのだろう。

 

 

 参考文献

東京は高給女と低収入男の「未婚アリ地獄」だ | ソロモンの時代―結婚しない人々の実像― | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準 

なぜ超高学歴女性ほど生きづらいのか? | プレジデントオンライン

 高学歴女子はなぜ今、あえて一般職なのか | BUSINESS INSIDER JAPAN

結婚は必ずしも美人がモテるわけではない

 いつの時代も、どこの国でも美女は男性を魅了し、ときに狂わせる。世界三大美女として名高いクレオパトラは、 絶世の美女として知られるだけでなく、7ヶ国語を操り、話術も巧みだったという。当時のローマは、三名が実権を握り、互いに牽制し合いながら帝国を統治する三頭政治が敷かれていた。その1人であるアントニウスに呼び出されたとき、クレオパトラは色仕掛けを図って近寄り、二人は愛人関係となって三人の子を授かるのだ。アントニウスは、クレオパトラにのめりこみ過ぎたため、ローマ市民に不興を買ってしまい、それを好機とみたオクタウィアヌスは、アントニウスクレオパトラを攻め立て、アクティウムの海戦で撃破した。これによってアントニウスは自害に追い込まれ、クレオパトラも毒蛇に自らの体をかませて自害した。こうしてアントニウスは、「女王に骨抜きにされた、ローマ人の自覚を失った男」として後世に語りつがれることになったのである。

 

 もう1人の世界三大美女として中国の楊貴妃も有名である。そのあまりの美しさに時の皇帝玄宗が惚れこみ、本人だけでなく、親族も大出世を果たした。楊貴妃は、全身からこの世のものとは思えぬ妖艶な香りを発し、花が恥じらい、しぼんでしまったという伝説も残したほど圧倒的な美を持っていたのだ。楊貴妃への愛に溺れた玄宗は、アントニウスと同様、次第に政務を怠るようになってしまった。その結果、安史の乱が勃発し、玄宗楊貴妃はともに長安から逃亡したが、兵士は、この混乱の元凶が楊貴妃にあるとしてその命を要求する。玄宗楊貴妃のことをかばうものの、兵士たちの怒りは収まらず、楊貴妃は絞め殺されてしまったのである。

 

 現代の日本でも、政治家、官僚、ときの経営者が、女性に惚れこみ、我を忘れたようにのめりこむ様は、連日のようにニュースになり、世の中を賑わせている。どこかの官僚が、女性記者に卑猥な発言をしたとする疑惑によって、辞任した話は記憶に新しい。男女の恋愛のあり方は様々で、パパ活にしろ、キャバクラにしろ、社内恋愛にしろ、その出会い方は多岐にわたっている。

 

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 これは統計局の「人口動態統計の年間推計」の中から抜き出したもので、年度別の男女の初婚平均年齢を表している。1950年には、男性が25.9歳、女性が23歳となっており、20代前半に独身生活を卒業する人が多かったが、2016年には、男性が31.1歳、女性が29.4歳と男女共に6歳ほど初婚年齢があがっている。晩婚化は、生産年齢人口が減退するなかで、日本の少子化を促進する深刻な課題だ。一方で、このデータは、男女の恋愛の期間が長くなっているということを示しており、昔よりも付き合う人数も増加しているに違いない。これはテクノロジーの発展により、スマホマッチングアプリなどのSNSツールが溢れ、出会いの量が格段に増加していることを要因としてあげてもおかしくはないだろう。また昔であれば知りえないような限られた情報が出回ることで、普段出会わない層同士がマッチングを目指していることもあげられるかもしれない。これは現代の不幸をよんでいるといえなくもないけど。

 

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  これは全国14ヶ所に結婚式場を展開するアニヴェルセル株式会社が、全国23歳から39歳の男女600名(未婚男女300名)を対象として、「結婚したい男性/女性」と「付き合いたい男性/女性」について集計したアンケート結果である。ここで付き合いたい女性の1位が「美人・かわいい」、2位が「性格が優しい、穏やか」、3位が「価値観があう」となっており、いかに男性が付き合う女性に対して外見を大事にしているかわかる。その一方で、結婚したい女性の1位は「価値観があう」、2位が「性格が優しい、穏やか」、3位「金銭感覚があう」となっており、「美人・かわいい」が5位まで落ちていて、男性が結婚するうえで、外見は優先順位がそれほど高くないことが読み取れる。

 

 男性が何歳の時点でシフトチェンジするのかは定かではないが、交際期間1年で結婚するのが最も多いようなので、男性の平均初婚年齢である31歳から差し引くと、30歳前後から、男性が女性と付き合うときに外見を意識しなくなる傾向にあるといえるだろう。しかも興味深いことに、結婚にあたって金銭感覚が一致するかどうかも重要になってきている。一緒に生活するわけだから、当然といえば当然なのだろうが、恋愛には求めていないのだ。

 

 これはある意味で、美人とは身の丈を越えて、多少無理な金をかけても付き合いたい、結婚する女性とはありのままでいたいという、なんとも身も蓋もない話になっている。だからこそ、収入の高い男性が、なりふりかまわず若い美人と付き合おうとするのも当然なのだろうし、現実にそういう例もあるのだろう。つまり女性としては、男性の身の丈に見合わない寵愛を受けているときは、自分が単なる恋愛対象に過ぎないととらえ、徐々にケチになってきたら、男性が結婚を意識しているんだと考えてもいいのかもしれない。ちょっと極論すぎるかもしれないけど。

 

  人間にとって恋愛と結婚は、人生の重要なイベントの一つで、だからこそ、それがもとで生活を狂わせることもあるのだろう。

 

  バレンタインデーもいいけど、みんなしっかり働こうね。

 

参考文献

モテ男、モテ女の条件とは?! 「結婚したい人」と、「付き合いたい人」の違いを大調査!

映画『マイ・インターン』を観て思ったこと

 シンデレラは、昔から女の子に大人気の童話で、継母・姉に苛められてきたシンデレラが、魔法の力によって奇跡を起こし、身分を越えて王子と結婚するというサクセス・ストーリーを描き、不自由なく素敵な結婚生活を送ることを夢見る子供心を絶妙に刺激した物語だ。しかし絵本に夢中になった少女達も成長すると、そんなことは夢でしか起こりえない現実に直面し、勉学に励み、時が来れば就職先を探し出すことになる。もちろん中には、色々とこじらせていて、いくつになっても、富がある人と結婚をすることだけを人生の目標として奔走している女性もいるし、偶然にも付き合えた人は、その充足感をさらに満たすためかどうかは定かではないが、SNSツールなどでマウンティングを繰り返している人もいる。

 

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  これは帝国バンクが公表する女性社長比率であり、個人事業主、非営利、公益法人などを除く約120万社を対象として、女性が社長を勤める企業の割合について表したものだ。女性活躍推進法が、2016年4月に施行されてから2年余りが経過し、女性起業家の支援環境の整備は着実に進んできたと思われていたが、まだ道半ばに過ぎないということが読み取れる。30年前と比較して、その割合は2倍ほどまで増加してきているが、前年比ではわずかに0.1%しか伸びていない。また女性社長では「同族承継」の割合が男性社長に比べて高く、とりわけ新任社長では、男性34.7%に対して、女性68.7%と2倍近くを占めているようだ。これは前社長の高齢化や後継者不足を背景に、配偶者や親から経営を承継する女性が増えたことが要因として考えられる。一方で、女性社長では、「内部昇格」や「出向」の割合が低く、とくに新任社長では、「内部昇格」が、男性の30.4%に対し、女性は15.1%と2分の1以下で、「出向」は男性14.3%に対し、女性2.1%と6分の1以下に留まっている。これは企業における女性管理職の割合が低いことが大きく影響してるようだ。

 

 

 映画『マイ・インターン』は、アン・ハサウェイロバート・デニーロが共演したヒューマンドラマである。若き女性起業家である主人公ジュールズが創業したニューヨークのファッション通販サイトは、一年前に25人だった社員が、200人に達すほどの急成長を遂げていた。自宅のキッチンではじめた事業が大成功し、いわゆるアメリカンドリームを体現したジュールズは、その急激な成長に翻弄されながら、ワンフロアの社内を自転車で移動しなければならないほど、忙しい日々を過ごしていた。ある日、ジュールズの腹心を担うキャメロンは、社会貢献という意味合いも含めて、シニア・インターンシップ制度を導入することを助言し、そこで70歳のベンが採用されることになった。若者ばかりの社内で、パソコンも器用に使いこなせないベンであったが、ジュールズ直下の部下として、日々の雑用をこなしながら、いつしか彼は、その誠実で穏やかな人柄によって、ジュールズから信頼を得たばかりか、社内で人気者になっていく。

 

 その一方で、ジュールズの会社を支援する投資家は、どんどん成長していく会社の事業規模に対して、ジュールズはもちろん、社員全体がそのスピードに追いついていないことを理由として、外部からCEOを雇うことを提案し、ジュールズを悩ませていた。腹心のキャメロンは、その案に賛成で、実際に候補者と面接をすることをジュールズに求め、彼女は忙しい合間を縫って、候補者と時折会いに行く。さらにジュールズは、家庭でも大きな問題がたちはだかっていた。ジュールズの成功の影で、仕事を自ら辞めてサポート役に徹していた夫が、家事育児に奔走していたが、実は浮気をしていたのだ。ジュールズは、目の前に立ちはだかる公私にわたる問題に立ち向かっていく決意をしながら、家庭の問題に対処する時間を取るため、外部CEOを雇うことを悩みながらも決定した。しかし結局、ベンの「夫の浮気のために創業した会社とキャリアを犠牲にする必要はない」というアドバイスによって、会社のCEOとしてやっていくことを改めて決断したのだった。

 

 この物語では、現代の大いなるテーマである女性の社会進出と、高齢者の活用ということをトピックとしている。さらに女性の社会進出において欠かせないであろう、夫の協力の仕方についても扱っていて、盛り沢山な構成だ。いまイクメンなんて言葉が一般的になってきたが、この物語における夫は、「専業主夫」であり、家事の分担がテーマではないが。ここで主夫である夫が浮気するところに、視聴者の共感をよぶための巧妙なトリックが隠されている。この場面の意図は、会社では自分のやりたいようにわがままに突き進み、家庭では、妻のために仕事を辞めて、自ら家庭に入ることを決めた夫のための時間すら取れない経営者を描いても、あまりに現実的すぎて、賛同を得られないからだ。女性起業家が、家庭を犠牲にして辛苦を共にした仲間と成功するという単純なストーリーを描くだけでは、昔の古き良き男のサラリーマン像のようになってしまい、目新しさもなければ、映画のテーマから離れてしまう。

 

 さて、夫が浮気することで、家庭の不幸も乗り越えて大きく成長する場面の意味は理解できたはずだ。さらに視聴者を引き込むためには、ジュールズが夫を心底愛しており、あくまでも夫の身勝手な理由で浮気が発生したという情景を描く必要がでてくる。そういうわけで、仕事から疲れきった主人公が、それでも夫との夜の営みを求め、それを「主夫業」で疲れた夫が断るシーンが実にシュールに描写されているのだ。こうすることで、観るものは一様に、ジュールズに共感することが可能となり、忙しくて家庭をないがしろにしたから浮気されたんでしょ、という批判を解消できる。

 

 もっと言えば、ここで夫と離婚して、ベンと結婚してめでたし、めでたしといった安易な結末にはならない所がこの映画の魅力だ。ベンには死別した妻に代わる恋人が用意されている。ここで年齢も地位も異なる二人が結ばれてしまうと、逆シンデレラストーリーになって、将来の子供たちの憧れが、「玉の輿ベン」という形で絵本になってしまう。ここを友情にすることで、現代の高齢者との付き合い方がリアリティを持って受けいれられ、大人のための物語になるのだ。

 

 少子高齢化が加速する先進諸国において、女性の社会進出と高齢者の活用は、重要な問題となっている。そして夫婦のあり方も、昔とは大きく異なってきている。東京医科大学が、入試で女子受験者らの点数を操作し、合格者数を抑えていたなどの一連の不正問題が大きなニュースになったり、年金の受給年齢が引き上げられたりした日本においても、この二つのテーマは永遠の課題だ。

 

 映画では、ジュールズも含めて、変化に対応できない若者が多く登場し、高齢者のベンだけが新しい環境に対して、抜群の対応力で困難を切りぬけるシーンがあるのはそのためだ。そんなベンが選んだ先がインターネット通販会社だというところもまた面白い。

 

 それにしても、働くって大変だなぁ。

 

参考文献:

女性社長比率調査(2018年) | 株式会社 帝国データバンク[TDB]