プライムタイムズ

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「セントオブウーマン/夢の香り」を見て思ったこと

 日々生活していると、岐路に差し掛かることがよくある。それは大きいことから小さいことまで様々で、トレードオフの関係だ。例えばA社とB社に内定をもらっていて、結局A社に就職したけれど、数年後にA社が倒産してしまい、B社を選択しなかったことで人生が大きく変わってしまった人もいるかもしれない。ただそれが、ハッピーエンドになるのか、バッドエンドになるのかは、また次の選択の結果次第であって、その後起業して、大成功すれば、それは正しい選択であったと思えるのだろうし、そのまま定職につけることができなくなってしまったのであれば、悔やまれる選択をしたと感じるのかもしれない。もちろんその感じ方は、その人次第であるわけだけれど。もっと大きな視点で考えると、世界中のあらゆるところで、ときには国家でさえも岐路に直面し、選択を迫られている。

 

 イギリス議会は、欧州連合との間で合意したEU離脱案に反対票を投じて否決した。しかも賛成202票、反対432票という歴史的大差であった。メイ首相にとって頭を抱える事態になったわけであるけれど、「合意なき離脱」になる可能性も強まっていることから、深刻な局面と言える。

 

 そもそも遡って見ていくと、イギリスが、2016年6月23日に行った国民投票で、EUからの離脱を決めたことから話は始まる。事前に各国の多くの指導者が残留を求め、IMF世界銀行が、離脱することによる大きな経済的打撃を警告するなかで、この決定はなされたため、世界中のメディアが、このニュースを大きな驚きとして大々的に報じたことは記憶に新しい。

 

 ではなぜこの決定がなされたのか。もちろん、多くの個々人の思惑が反映される国民投票の結果を正確に分析することは不可能だけれど、背景にあるのは、一般国民の鬱屈した感情かもしれない。

 

 国家単位の大きなモノにとって、この問題の解答は非常にシンプルなもので、それは、残留が正解、離脱が不正解といった二者択一の形で、岐路における選択を悩ますものは何もなかったはずだ。だけど、一般市民という小さなモノにとって、物事はそう単純な話ではなかったのだ。

 

 テクノロジーの発展や、それに伴うグローバリゼーションによって、単純労働は、賃金コストの安価な国に移転され、それに従事する国の人々は、他国に仕事が奪われる恐怖に慄いている。金融危機、欧州債務危機と続く経済活動の不透明さによって、生活は逼迫し、さらに、少しでも生活を豊かにしたいと願う移民たちで国は溢れ、その恐怖はより現実的で、そこかしこに閉塞感が蔓延していた。政府に任せていても、一向に目の前の生活はよくならないばかりか、不安は解消されず、マグマのように国民の不平不満が湧き上がっていたまさにそのときに国民投票という岐路が用意されたのだ。

 

 時の首相である、キャメロンは、一般国民のそうした不満を反映した右翼政党の台頭に対し、焦りと苛立ちを感じ、国民投票の実施を求める動議を提出した。この時点でキャメロンは、まだ楽観的だったに違いない。つまり、「教養ある国民」がまさかEU離脱に賛成票を投じるはずはない、もっといえば、離脱に反対する結果を見ることで、国家が一枚岩となって「正しい選択」をすることで、今後の大きな問題を一丸となって、共に乗り越えることができるはずだと想像していたやもしれない。そして「物事を決められない」国民性から脱却し、新たな時代を切り開くためにも、国民投票は不可避であったのだろう。

 

 しかし、ここでキャメロンにとって不幸だったことは、100万にも及ぶシリア難民の欧州諸国への受け入れ希望と、パリ同時多発テロなどによる過激派組織の活動が、欧州内部からナショナリズムを増殖させたことだろう。さらに、EU内のドイツ、フランス、イギリスの力関係の複雑さもあいまって、事態はより泥沼化した。第二次世界大戦後、ドイツの経済優位性ばかりが目立ち、欧州諸外国の力の弱さを利用する形で、ユーロ通貨安による輸出産業の発展という恩恵をふんだんに活用できたフランス、イギリスではあったが、その影響力はドイツに凌駕され、そもそも敗戦国であったドイツの力を押さえ込むことを目的に始まった、EUの存在意義に疑問符がついた。

 

 キャメロン首相は、この国民投票の結果を受けて退任し、今度はメイ首相が、離脱という「正解」にむけて舵をきりだした。このときの一般市民の感情は、実はもっとシンプルだったのかもしれない。自分たちの職の安定と生活の安全を「脅かす」移民を排除し、経済効果に関しては、離脱後も単一市場から変わらず受けるはずだという思惑が、結果に反映された。しかしながら、EU諸国としては、当然ながら、人、モノ、金、サービスといった4つの移動に関して、関税をかけるなどの一切の妥協は許さないと名言しており、政府が国民に対して、離脱によるリスクに関する事前説明が不十分だったことを浮き彫りにした。

 

 さて、話が長くなってしまったが、「セントオブウーマン/夢の香り」についてであった。本題に入る前に、簡単に内容を説明しておくと、元軍隊出身で盲目になった人生に悲観するスレードと、奨学金で名門校であるベアード高校に入学した苦学生チャーリーとの交流を描くヒューマンドラマである。

 

  なんといってもこの映画の最大の魅力は、物語の最後にあるスレードが行うスピーチで、このスピーチにいくまでには、色々と経緯がある。アメリカで重要な行事の一つである感謝祭(サンクスギビィング)が近づくある日、チャーリーは、3名の同級生よる校長に対する妬みから端を発した、愛車ジャガーに悪戯を準備するところを目撃した。次の日、その悪戯が幸か不幸か成功し、悪戯に激怒した校長から、目撃者と思われるチャーリーと、悪戯をした同級生の仲間であるジョージが校長室に呼び出され、チャーリーに対して、犯人たちの名前を明かすならハーバード大学への推薦、断れば退学という二者択一を迫り、感謝祭の休暇後の公開諮問委員会で回答を要求する。

 

 さて予定通り、全校生徒による公開懲罰委員会の試練がはじまると、証言台には、ジョージと父親、そして反対側にチャーリーが座らせられた。チャーリーが緊張して開始のときを待っていると、そこにスレードが、親の代理と称してやってきてチャーリーの隣に腰掛けた。集会がはじまると、ジョージは保身に走り、あやふやな証言で逃げようとしたばかりではなく、確信性は与えなかったものの、仲間の名前まで告げたのだ。チャーリは、ジョージの証言が正しいことを証明することを求められたが、証言そのものを拒否し、不良行為をしたとはいえ、同じ学校で学ぶ仲間を売ることは決してしなかった。校長はそれを虚偽の証言として、同席する懲戒委員会に、チャーリーの退学を審議するよう要求する。そうした最中、突然、「彼は密告者にはならなかった」とするスレードの声が会場に響きわたる。スレードは立ち上がり、親の力に頼るばかりではなく、自分が危機に直面すれば、平気で仲間を売るジョージ、そしてそんなジョージを正直者、チャーリーを嘘つきの不誠実者とする校長を、厳しい言葉でこきおろす一方で、将来を約束するという甘い言葉に一切乗らずに友を守ったチャーリーこそ、高潔な魂を持っていて、それこそがリーダーの持つべき資質であると熱弁した。

 

 集会は盛大な拍手に包まれると共に、懲戒委員会は、審議を即決し、犯人の生徒たちの処分とチャーリの解放を宣言したのだ。

 少しスピーチを引用しておくと、 

「...I have come to the crossroads in my days, and I have always known the right path, always, without exception, I knew. but I never took it. You know why ? because it's too damn hard. Now, here is Charlie, he's come to the crossroads and he's chosen a path, it's the right path. It's a path made of principle that leads to the character. Let him continue on his journey. You hold the boy's future in your hands, Comitte. It's valuable future. Believe me, Don't destry it,  Protect it, Embrace it...

(私も何度か人生の岐路に立つことがあった。そしてどんな例外もなく、いつも正しい道を判断できた。しかしその道をいくことができなかった。あまりにも困難な道だったからだ。チャーリーもまさに岐路に直面した。そして彼は正しい道を選んだ。真の人間を形成する信念の道だ。彼の人生の旅を続けさせてやろう。彼の未来は、君ら委員会の手の中にある。価値ある未来だ。私が保証する。潰さずに守ってやってくれ。愛情をもって)」  

 

 ちょっと映画ということもあって、出来すぎている所はあって、お涙頂戴になっているわけだけれど、人生を左右する選択や決断は、あらゆるところに溢れている。人生の選択は非常に難しいもので、「正しい」ことが常に人生を豊かにするとは限らないし、いつも「正しい結果」になるとも限らない。そして、世の中の有識者や、はたまた国家でさえも、必ずしも「正しい選択」ができるとは言えない。

 

 そんななかで、筆者は日々社内政治に翻弄されながら、イギリス議会が決定するような重要事項には関われないばかりか、チャーリーのような高潔な選択もできない日常を送っている。給料日前のいま、鮭弁当にして200円節約しようか、このブログの初投稿を祝ってステーキ弁当にしようか、そんな人生の大きな岐路に迫られながら、筆をおきたい。

  人生の岐路にたつとはそういうことなのだとおもう。